ホーム > お知らせ

第16回【まろにえらーにんぐ情報】地域の文化財(くるめの文化財(東久留米市教育委員会 郷土資料室)/東京都文化財データベース)

2020年6月12日

../up_image/文化財写真.jpg

東久留米の土地に残っている、歴史の息遣い。
例えば、生涯学習センターの近くにあるバス停名でや「前沢宿」や「御成橋(おなりばし)」がありますね。
「宿」とは宿場町。どのような需要があったのでしょう?また誰が「御成り」になったのでしょうか?
そして、黒目川の支流で楊柳川(ようりゅうがわ)がありますが、なんだかこのあたりの名前としては響きが珍しいような気がしませんか。

***

文化財は過去の歴史や文化を知り、創造的な未来を育む上で欠かせないものであり、国民共有の財産です。

【文化財の種類】(文化財保護法)
有形文化財:建造物、絵画、彫刻、書跡、典籍、古文書、考古資料、歴史資料など
無形文化財:演劇、音楽、技術工芸などの無形の文化遺産
民俗文化財:風俗習慣や芸能など生活の推移の理解のために欠くことのできないもの
・無形民俗文化財:衣食住・生業・信仰・年中行事等に関する風俗習慣・民俗芸能など
・有形民俗文化財:無形の民俗文化財に用いられる衣服・器具など
記念物:史跡・名勝・天然記念物など歴史・学術・芸術上などの価値が高いもの
埋蔵文化財:地中に埋まっている住居などの生活跡や土器・石器などの生活用具
文化的景観:地域における人々の生活又は生業及び地域の風土により形成された景勝地
伝統的建造物群:周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群

これらの文化財は、個人や法人または国や地方公共団体などの所有者が保存・管理していますが、それらの保存と活用が適切に行われるように、
「文化財保護法」および地方公共団体の「条例」によって保護が図られています。
東久留米市では約8,000件の文化財が確認されており、特に重要なものについては指定文化財として保護されています。
現在、国登録有形文化財が1件、東京都指定文化財が3件、東久留米市指定文化財が66件(平成26年10月1日現在)です。
(出典:東久留米市HP)

***

長い歴史を持つ東久留米市には原始・古代の遺跡をはじめ、多くの文化財が残されています。
今回は江戸時代の文化財をを中心にご紹介します。

_____

【江戸時代の東久留米】(出典:東久留米市HP 教育委員会 > 文化財 > 東久留米の歴史より一部抜粋)

江戸時代になると、武蔵野は大都市江戸の町の食料供給地の役割を担うようになります。
本市域では、正保年間(1644年から1648年)には門前・神山・落合・小山・南沢・前沢・下里の7カ村がありました。
その後、元禄期に柳窪村ができ、享保年間(1716年から1736年)になると、幕府の新田開発の奨励により前沢新田や柳窪新田が開かれました。

江戸時代の村は幕府の政策により複雑な支配体制がとられていました。
幕府直轄領と旗本の知行地に分かれますが、市内に領地を有した旗本として、米津(よねきつ)家、蜂谷家、田中家、小野家、矢部家、神谷家があります。
米津家は、一万石以上の大名で、初代の田政は江戸町奉行として知られています。
幸町にある米津寺は米津家の菩提寺で、四代の当主や親族の墓碑が並び、江戸時代大名墓所の景観を今に伝えています(東京都指定史跡)。

_____

いかがでしょう。
なんと東久留米には前沢新田や柳窪新田など、江戸幕府直轄の天領があったのです。驚きですね!
米津家は三河出身の徳川譜代の家臣で、初代の米津勘兵衛田政(たまさ)は慶長9年(1604)から20年間江戸町奉行を勤め、武蔵・下総・上総に5000石の領地を与えられました。
江戸町奉行としては遠山の金さんで有名な遠山左衛門尉景元の大先輩にあたります。
(遠山左衛門尉景元:1840年就任・1843年辞任、所属:北町/1845年就任・1852年辞任、所属:南町)

東京都指定文化財の1つ、米津寺について
■東京都教育委員会の「東京都文化財情報データベース」より
https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=582
東京都多摩地域で唯一の大名墓所です。

米津寺の他にも、市指定文化財は様々なものがあります。
今回は(米津よねきつ)家領地であった前沢地区に関する、教育委員会作成の記事をご紹介します。
非常に充実した資料となっていますので、ぜひご覧になってみてください。

■くるめの文化財(東久留米市教育委員会 郷土資料館作成)
第22号 特集:旧前沢村(平成18年発行、4ページ)
https://www.city.higashikurume.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/891/22.pdf

前沢御殿跡(楊柳沢御殿跡)ようりゅうさわ 東久留米市八幡町2-11
江戸時代には、調練した鷹を放って動物を獲る鷹狩が盛んでした。鷹狩の場所を鷹場といい、現在の東久留米市を含めた武蔵野一帯は徳川御三家の尾張家の鷹場でした。
その鷹狩の際の宿泊所が寛永十八年(1641)から延宝四年(1676)までこの場所の旧延命寺にあり、前沢御殿や楊柳沢御殿と呼ばれていました。

前沢は村の名、楊柳沢は御殿の北を流れる川の名とされています。また、尾張の名古屋城の別名が楊柳城であるためとも言われています。
前沢御殿の見取図によると、前沢宿につづく東に門があり、中央には北に玄関をもつ藩主等が使う屋敷がありました。
その北側には鷹匠と鷹がいる御鷹部屋があり、周囲は塀で囲われていたようです。
鷹狩は半月近く行われ、前沢御殿は三十年以上その宿泊所として利用されました。(東久留米市教育委員会掲示より)

先述の米津家は三河国米津村(現愛知県西尾市)出身の徳川家直参の旗本で、徳川十六神将図にも描かれた名門だそうです。
徳川十六神将といえば、本田忠勝や井伊直政などが有名ですよね。米津常春がこの1人です。
尾張名古屋城の別名である楊柳城との関連も考えられ、北側を流れる川は今も楊柳川と名付けられています。

三家筆頭の尾張藩は武蔵野に広大な鷹場を有し(境界を示す83本の石杭を建立)、東は朝霞市、西東京市(保谷に5本の境界を示す石杭が現存)、練馬区大泉、南は三鷹市、小平市、立川市、国分寺市、西は青梅市、埼玉県入間市、狭山市、坂戸市、北は志木市、富士見市までに及び、その際の御殿が東久留米の前沢村(現在の東久留米市八幡町2-11)の前沢御殿(楊柳沢御殿)だったのです。
現在は旧延命寺跡の墓地となっていて、当時の遺構は現存しませんが、江戸時代の東久留米市域における徳川幕府の支配体制と御鷹場の関係を知る上で貴重な旧跡です。

***

冒頭の名称に関しては、
前沢宿は前沢村を中心に主要街道沿いに発達した宿場町にちなむ地名。
御成りは、尾張の殿様が通ったのでしょう。前沢御殿に尾張藩主や世継ぎが35回も訪れているそうです(!)
楊柳川(ようりゅうがわ)は、尾張徳川家の名古屋城の別名楊柳城に由来する説。

歴史に想いを馳せられる、文化財。
普段見慣れた街並みですが、文化財を知って改めて歩いてみると、見えてくる景色もより一層違ってきそうですね。

★東久留米市郷土資料室★
東久留米市滝山4-3-14 わくわく健康プラザ内
TEL:042-472-0051
「事務所・文献資料室」「資料整理室」「歴史展示室」「展示コーナー」「資料保管室」があり、文化財の保存や調査、展示を行っています。
(市ホームページより)

※当記事作成に当たり、文化財の記載について東久留米市ホームページより引用しています。
また東京都教育委員会、東久留米市教育委員会 郷土資料室にはリンクでの紹介について許諾を頂いています。


__________

【6月16日公開予定】生きるチカラ!法教育/法務省

2016年に施行の選挙権年齢の引下げや
これから控えている2022年4月の成年年齢の引下げ等に伴い、法教育の必要性がますます高まっています。
次回は法務省ホームページからの学習情報の第1弾として
法務省の法教育ページより動画「生きるチカラ!法教育」
法教育マスコットキャラクターのホウリス君が様々なケースについてガイドしてくれる、動画をご紹介します。

公開をお楽しみにお待ちください
#まろにえらーにんぐ

過去記事はこちらからまとめてお読みいただけます
https://www.facebook.com/higashikurume.lll/notes/
__________

掲載URLhttps://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=582

PDFくるめの文化財≪東京文化財ウィーク企画事業資料≫(東久留米市教育委員会作成)pdfダウンロード






このページの一番上へ

東久留米市立生涯学習センター(まろにえホール )
    • 【所在地】〒203-0054 東久留米市中央町2-6-23
    • 【TEL】042-473-7811
    • 【開館時間】9:00~22:00
    • 【駐車台数】60台(ほか身障者用スペース2台有り)
    • 【休館日】第4月曜日(第4月曜日が祝日の場合その翌日)
      ・年末年始(12月29日~1月4日)